私の韓流ヒストリー⑥ 仕事(新聞社)編

アンニョンハセヨ。

「私の韓流ストーリー」を綴りはじめて、今回で6回目。

いよいよ、京都の大学を卒業し、就職で上京した仕事編に突入です。

 

私が東京にやってきたのは、2001年。
日韓ワールドカップ共催の1年前でした。

 

どこに就職したのかというと、韓国経済を専門に扱っていた新聞社です。
留学中から就職活動中まで、その新聞を2年ほど定期購読していた縁から、
運よく就職が決まりました。

 

ここでは、広告営業を中心に、映画やイベントの取材まで、
いろんな経験させていただきました。

 

社会のイロハはもちろん、東京の地理もまるでわからず、
地下鉄路線図を肌身離さず持ち歩きながら、
低いヒールの靴を履いて、毎日、たくさんの企業を訪問しました。

 

商社、貿易、運送、食品、飲食など、
韓国と取引のある、ありとあらゆる企業に挨拶しに行けたのは
新聞社の名刺があったおかげ。
いまの自分では、とうていできない経験をさせてもらえたと思います。

 

当時、「留学経験のある若き日本人女性」という存在そのものが重宝され、
企業の重役の方、なかでも在日コリアンの実業家さんには、
ずいぶんと珍しがられ、可愛がってもらいました。

 

食事をする機会も多く、人生相談に乗ってもらったことも
1度や2度ではありません。

 

でも、当時、24歳の私には、まだ何かを楽しむ余裕がなかったのが、
今思えば残念です。
ひたすら孤独で、つらかったのです…。

あの時、仲のいい友人がひとりでも近くにいたら、
また違っただろうなと思います。

 

そんななかで、その後、韓流専門編集者となるきっかけになった
取材が3つありました。

 

一つ目は、入社してすぐに映画「JSA」が公開されたため、
試写会のレセプションパーティーに連れて行ってもらい、
ソン・ガンホさんと直接、話ができたこと。
映画でみるよりも、とってもスマートでシュッとしていて、
小顔で若々しくて、
最初は一瞬、誰だかわからないくらいでした。

一緒に同行した記者さんが、気をきかせてツーショット写真も撮ってくれました。
世界のガンホさん、もう、いまじゃ、そんなお願い、無理でしょう・・・。

 

 

二つ目は、その秋に公開された映画「Go」で、主人公の在日コリアン役を演じた
窪塚洋介さんに囲み取材ができたこと。
すごく小さな会議室に、数人の記者で囲って、とても気さくな雰囲気でインタビューが
できました。俳優さんというのが、こんなにも、普通におしゃべりするんだと、
初めて知った瞬間でした。
ちょうど、9.11の直後だったこともあり、窪塚さんには政治的な質問が飛んでいました。
世界平和への思いを、語っていたのをかすかに憶えています。


三つ目は、世界的なオペラ歌手、スミ・ジョーさんに、コンサート当日の控室で、
単独インタビューできたこと。

(正確には、私は記者さんに同行しただけでしたが…。)

 

記者さんが、「すごい人に会えるのも勉強だよ」と、日曜日の取材に誘ってくれたのでした。

「すごい人(←当時は、あんましよく分かっていなかった…)」の楽屋に入れたのが
そもそも嬉しかったのですが、何よりも、
コンサートを控えたスターに、どんなことを聞くのが、本人にも、
読者にも望ましいのか、そんなことを考えるきっかけになりました。

 

また、「すごい人、スミ・ジョー」さんの、
韓国人としての誇り、オペラ歌手としての自信に満ち溢れたオーラはとても印象的で、
自信に満ち溢れることの素敵さを知った24歳でした。


そして、そんな頃、驚くニュースが耳に入ってきました。

 

私がVHSで見て、誰かと話がしたくてたまらなかった『秋の童話』が
まもなくMXテレビで放送されるというのです!

 

わたしが伝えたかったのは、

面白くてドキドキする
韓国のエンターテインメントだ。

 

そう思うといてもたってもいられなくなり、
気付いた時には、新聞社を辞め、
韓流雑誌を作っている会社の門をたたいていました。


(続く)