アンニョンハセヨ。編集長の野田です。
韓流ファンの皆さんの韓流の想い出をメモリアルブックという形にするサービスを提供している我が編集部。
まずは、わたくし自身の韓流ヒストリーを振り返ってみようと、随時、執筆中です。
しばしお付き合いください。
今回は大学入学編です。
小学生の時に古代史と出会い、渡来人という存在をきっかけに韓国という国がすっかり憧れの対象になったわたし。
考古学者を目指す気持ちを中学・高校まで持ち続け、いよいよあとは大学生に受かって、奈良に住むぞ~!という年齢になりました。結果、奈良には住めなかったのですが、お隣、京都の大学に進学することになりました。古代よりは少し時代は新しいですが、古墳にかわって寺院仏閣に囲まれた生活もなかなか楽しいものでした。歴史の息遣いを満喫しながら、考古学者を目指す楽しい大学ライフ。ほんのちょっと歩けば、誰もが知る有名な神社仏閣を目にすることができ、毎日がどきどきでした。そして、ふらっと立ち寄った神社で、気になるあの国、朝鮮半島とのゆかりを見つけてはわくわくし、キムチ屋や韓国料理店などを見つけては、立ち寄っていました。
そしてアルバイト探し。せっかく京都に住めたんだからお寺で働こう!と思い立ち、タウンワークを手に片っ端からお寺に電話をかけ、アルバイトの申し込みをしました。ところが、どのお寺も、お土産屋さんの一角での仕事ならあるとの回答。でも私は接客ではなく、お寺の中にはいって、掃除をしたり、文化財に触れられるような仕事がしたかったので、それらはすべて断ることにしました。そして、唯一、私が希望するような内容で受け入れてくれたのが鞍馬寺でした。鞍馬山の頂上に位置する鞍馬寺。鞍馬天狗で有名なお寺です。今でこそパワースポットの名所としてたくさんの参拝客でにぎわっていますが、当時は、山奥のひっそりとした修行寺といった印象で、登山シーズン以外はとても静か。山の上にかかる霧と雲がその荘厳な雰囲気を醸し出し、昔の人がここに神が住むと思ったことに納得したものでした。
私が住んでいた京都市中京区から、左京区のはずれ、鞍馬寺に行くのに1時間半。日曜日の朝、6時半のバスに乗って叡山電鉄の始発駅、出町柳に行き、そこから終点の鞍馬まで30分。さらに頂上のお寺まで徒歩30分。
いや~、本当に当時の自分はよくやったものです。若かった。パワーがあった…。
実はつい昨年、大学を卒業して以来、はじめて鞍馬寺に行きました。出町柳駅から鞍馬までのんびり30分。これがすごくすごく長く感じたものです。18歳の自分が1時間半もかけてこの道を通り、アルバイトに通っていたのかと思うと、その健気さに我ながら感心してしまいました。今の自分にはとても考えられない行動ですが、それだけ、夢への思いが深かったのでしょう。
さて、鞍馬寺では、当時、私をお世話をしてくださった方と20年ぶりの再会を果たすことができました。うっすらとですが、私のことを覚えていてくだいました。その方が、お変わりなく元気でいらしたことが何よりもうれしく、涙があふれてきました。当時、歴史好きが高じて韓国留学を目指すようになった18歳の私。そんな私をあたたかく受け入れ、人として謙虚に、自然に感謝しながら生きることを教えてくれた鞍馬寺…。
私は無事、留学を果たし、卒業し、上京し、マスコミに入り、韓国という国をライフワークにし、同じく韓国をライフワークとする夫と出会い、ふたりの子供をもうけ、少し育児にひと段落して、いま、20年ぶりに、こうして鞍馬寺にいます。
そんな話をすると、とても喜んでくださり、匂い玉をお土産に手渡してくれました。帰り道に本堂のなかを見学すると、鞍馬寺の補修工事に関する募金の張り紙を見つけました。迷わず募金をしました。ほんのわずかな金額でしたが、好きな仕事をしながら家庭を築き、元気に生きていられることの感謝を少しは伝えられた気がして、なんともいえない熱い感情が沸き上がってきました。
(私の韓流ヒストリー 韓国語授業編に続く)