アンニョンハセヨ。編集長の野田です。
皆様の韓流ヒストリーをお聞きし、1冊の雑誌にまとめるというこのサービス。
まずは、わたくしの韓流ヒストリーをまとめてみようと思います。
しばし、お付き合いくださいませ。
この仕事をしているとよく、なぜ韓流を仕事にしているのか、と聞かれます。
もちろん、韓国が好きで、韓国を伝えることをライフワークに選んだからなのですが、
いつ、どうして韓国を好きになったか、を振り返ってみると、けっこう長いヒストリーがあったりします。
なぜなら、私は今から30年ほど前、小学生の時から、韓国が憧れの国だったからです・・・。
韓流雑誌の編集の仕事を始めたのは2002年、ワールドカップの日韓共催、
そしてウォンビンと深田恭子主演の「フレンズ」が放送された年です。
25歳の時でした。おそらく、この時期から韓流雑誌だけを専門にやってきた編集者は、
日本で数名しかいないはずです。
韓流が起きるほんの少し前に留学を終え、
駆け出しの編集者としてタイミングよくマスコミ業界に身を置いていたため、
その後の韓流の流れにうまく乗ることができたのでしょう。
これは、本当にそう思います。
編集やライティングの経験値は浅くとも、若さゆえのフレキシブルさとパワーが身を助けてくれたのです。
とにかく韓国が好きで、韓国を伝える仕事がしたい!
と思っているうちに、いつのまにか、韓流という社会現象が起き、
一日中、誰かを取材し、日本と韓国を月に何度も行き来する生活が訪れました。
あの時のあの年齢の自分でなければ、きっとあそこまで全力で動くことはできなかったでしょう…。
では、そんな私が、なぜ韓国へ興味をもたのか、30年前にいったい何があったのか…。
少し、振り返ってみることにします。
たしか小学4年生の頃だったと思います。
ある日、突然、古代史が大好きになりました。
はじめは、縄文時代、弥生時代に興味をもち、漫画で読める日本全国の遺跡発掘書をよく図書館で借りて読んでいました。
そのうち、飛鳥時代の古墳が大好きになり、たびたび家族に頼み、奈良に連れて行ってもらい、
明日香村をサイクリングしたり、歩いたりしながら、さらに歴史への想いを深めていきました。
「将来は考古学者になる!大学生になったら、奈良に住む!」と心に決め、
父の書斎にあった小難しい本を夢中で読んでいた記憶があります。
世紀の大発見といわれる高松塚古墳の壁画発見時は、まだ生まれていませんでしたが、
それに続く世紀の発見、キトラ古墳や藤ノ木古墳の発掘調査が世間をにぎわせた頃は、
新聞が読めるような年齢になり、朝日新聞に掲載される古墳発掘の記事を朝、ドキドキしながら読んでいたのを覚えています。
そのちに、あることに気がつきました。
壁画、副葬品、被葬者…。明日香の古墳が実に朝鮮半島とのつながりが深いこと。
そして渡来人という存在。
記事で読むたびに韓国という国への興味がふつふつと沸き、
いつか、韓国に行ってみたい!と、思うようになりました。
なかでも、藤ノ木古墳で発見された金の履が韓国の武寧王陵から出土した履とそっくりだという報道には胸が高鳴り、韓国語をマスターして、日韓共同発掘調査ができるような考古学者になりたい!と、ますます韓国熱を高めていったのを覚えています。
89年に発行され、大ヒットした「人麻呂の暗号」(藤村由加著/新潮社)もむさぼるように読み、
韓国語と日本語の深い関係にも衝撃を受けたものです。
当時、小学生だった私にとって、韓国が憧れの国になった決定的な瞬間でした。
(私の韓流ヒストリー大学入学編へつづく)